はみだしつば

堂本剛さんに関する一つの見解

きわめて「双子」的な

吉野朔実の漫画作品には、やたらと双子が登場する。作品の大きなテーマである自己同一性を語るのに双子、もしくはそれに準ずる間柄の設定を用意する必要があるからだ。哲学的・純文学的な雰囲気で描かれる双子たちは一風変わっていて、現実からかけ離れた存在のようにも思えるが、吉野が中学生の頃に憧れの双子の先輩が実在したという事実は、彼女の双子に対する継続的な関心の動機の一部ではあると思う。

吉野朔実のエッセイ『本を読む兄、読まぬ兄』の表題作にて披露されている「素敵な双子の先輩」について紹介したい。

二卵性なので二人はあまり似ていない。ひとりは背が高く、ほっそりとしていて、図書館の似合う知的なタイプ。もうひとりはスポーツマンでちょっと不良っぽくて野性的。ふたりは仲が良く、共に学校中の人気者で、どちら派に属するかで女子達はわき、少女マンガそのものだったという。

いまだかつて、TVでも見たことがありません。あんなに強力な双子。

 ここで勝手に、「強力な双子」の構成要素を抽出してみたいと思う(適当注意!真剣に読まないで)。

1 双子それ自体が、偶然の産物で「奇跡」を彷彿とさせること --- 偶然性

2 双子の両者ともに、類まれな容姿と才能を持っていること --- 揃いの貴重性

3 双子の容姿や性格、才能の得意分野が、まるで正反対に見えること --- 相互補完性

4 双子の容姿や才能のスケールが釣り合っていること --- 均衡性

5 相反するように見える二人の仲が良好なこと --- 連帯感、絆

 唐突だが、1.を除き、これらの要素はそのままKinKi Kids にも当てはめることができないだろうか。特に『人間・失格』に出演した後、一躍スターダムにのし上がり、ジャニーズの枠を超えてお茶の間の人気者になった頃の彼らに、である。

ソロ活動が多くなった現在においてもKinKi Kids としてのグループ活動を望む声が多いのは、上記の要素を持ち合わせる(かのように見えた)グループの神秘や希少性がファンの心を掴んで離さないことが大きな理由としてあるように思われる。そして実際にコンビとしての完成度が高い。同時期に近い地域で同じ名字を持って「奇跡のように」この世に誕生した彼らは(実はここで1.の要件もクリアしている)、人々の意識下で、本当の双子以上に双子的なコンビなのだ。

グループファンや相方アンチ(と呼ばれる方々)がざわめく瞬間というのは、上記要素のうちのどれかに引っかかりやアンバランスさを感じてしまった時なのかもしれない。前述のように吉野朔実は「TVでもあれほど強力な双子は見たことがない」と語るが、幸か不幸か、見てしまった(というか見出してしまった)人が多くいるのである。少女マンガ的<夢>を具現化した偉業ゆえに、KinKi Kids は今後もしばらく双子的な均衡や関係性を要請され続けるだろう。そしてペアとしての優秀さが際立つと、それぞれの自己同一性がうっかり忘れられがちになる。