はみだしつば

堂本剛さんに関する一つの見解

不毛な質問

テレビや雑誌の取材側は、なぜ男性アイドルに好きな女性のタイプや結婚観を質問するのか。常々、疑問に思っていた。取材対象となるイベント(例えばミュージカルやコンサート)の話題よりも、恋愛系の質問がクローズアップされ、時間も長く割かれがちだ。視聴者や購買者のニーズをそれなりに踏まえてのことなのだろうが、その情報を「本気で」欲しがる人が果たして多く存在するのか。

たとえば、ファンになりたての人や、アイドルに擬似恋愛的な感情を抱き続けているファンなら、好きな女性のタイプを知りたいのかもしれない。けれど芸能界に長くいればいるほど、ファン層は徐々に見守り型や観察型、家族的扱い型に移行していく(たぶん)。ファンも長く応援しているからこそ、質問の内容や切り口にもたまにはバリエーションが欲しいと願うものなのではないだろうか(もちろん、恋愛系の質問があってもいいし、知りたい人もいることはわかります。ただ、自然な文脈と適切な頻度というものがあるでしょうという話で)。

そもそもアイドルは(一応は)恋愛がタブーとされている。だからアイドル然として取材を受ける以上、その枠組みの中でしか答えようがなく、その返答は表層的なものや具体性を欠くもの、あるいは質問から若干ずれているものになってしまう。例えば、好きな女性のタイプを聞かれているのに、苦手な女性のタイプを答えたり、内面を磨いてほしいなどと大雑把だったり、結婚観が二人の結婚生活ではなく、親に孫の顔を見せたい的なことだったりする。そこにお相手の女性の具体像は見えてこない。

これはファンとアイドルイメージへの配慮であり、テレビなどの公の場で適用されると一般視聴者にはひどく退屈だ。彼らがファンの方を向き、ファンのこと(だけ)を考えている姿を見せつけられるのだから。そしてしばしば、アイドルはファンに対する体裁を保つことに集中するあまり、一般人から持たれてしまうであろうイメージに対して無防備となる。ファンには伝わる言葉が、一般には全く異なる意味に捉えられたりする。このバランスを乗りこなすのはとても難しいし、毎度苦慮しているのだろうと想像する。

そういったわけで、アイドル、特に若くはないアイドルに恋愛・結婚話を振ることが個人的には不毛に思えるのだが、メディアの取材側は毎度毎度、飽きもせずに似たような質問を繰り返す。男性アイドルは女性ファンの恋愛対象でしかなく、女性ファンも、そういった質問さえあれば満足するだろうとでも思っているのだろうか。それでは恋愛要素以外の多くの部分をカバーしているアイドルに失礼だし、女性にしたって「恋に夢見る存在」でしかないと社会から断定されているようで気持ちのいい話ではない。ただ、事務所サイドから「質問は恋愛系で」と通達している可能性も否定できず、だとしたらますます根は深い。システムの綻びをタレント個人の努力でどうにかできると思っているなら虫がよすぎる。

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社会学者・東園子さんの論文「『宝塚』というメディアの構造」の中で、タカラジェンヌという存在が「役名」「芸名」「愛称」「本名」の四つの層が折り重なって成立しており、そのうちタカラジェンヌの素顔(オフ)にあたる部分が「愛称」と「本名」の二つに分離することが指摘されている。「愛称」としてのタカラジェンヌの存在は、オフの顔とはいえファンに公開された顔であり、「清く正しく美しく」のイメージに沿うよう、たとえばテレビのトーク番組で恋愛系の質問をされても恋愛をしているかどうかを公にしない姿勢を貫く。実際のところ恋愛は自由なのだが、恋愛という(特に男役の)イメージを損なうような不都合な情報はすべて、ファンには非公開の「本名」の存在に帰属させるのだという。ファンもそれを了承済みだ。

このシステムをそっくり真似てほしいとは思わないが、タレントの負担は相当軽減される。ただ、所属タレントのほぼ全員の芸名と本名が一緒という、公私の区別すら曖昧なJニーズ的あり方を考えると、まだまだ遠い話なのかもしれない。