はみだしつば

堂本剛さんに関する一つの見解

読書メモ『有名性という文化装置』

石田佐恵子著『有名性という文化装置』を読んだ。有名性をめぐるコミュニケーションのあり方や歴史、オーディエンスのアイデンティティを論じながら、有名性を保証する仕掛けをシニカルに分析する論考。1998年初版と古い本だが、以前取り上げた『「アイドル」の読み方』で参考文献にあげられている。気にかかっていた「有名性の両義性」について、前半で述べられている。

(P・D・)マーシャルによれば、現代文化における有名性の第一の側面は、私たちの世界の成功や業績を表現する記号としてのものである。私たちは有名人や有名なものに関心を持ち、その情報を得るために時間と対価を支払う。有名性こそ、現代文化のなかで人が得ることのできる最高の成功を証明するものである。有名性を帯びたモノや人は、そうでないモノや人が単なる「固まり」や「群」として統計的に扱われるのに対して、あらゆる意味で<ユニークな>存在として扱われる。

その一方で、有名性はもっとも軽蔑すべき側面を表現する記号として運用される。有名性はしばしば「実体がなく、実質的な意味をともなわない空虚な存在、全くのイメージにすぎないもの」という意味において用いられる。有名人という呼称は、しばしば、その成功の大きさに見合うだけの実績や業績をあげることなく、「偽りの」能力によって過剰に評価されている、という意味においてもちいられる。有名性の第二の側面は、有名性とは「実体がなく」「間違った」価値を体現している記号としてのものである。(p3-4)

つまり、有名であることで名声をえることができるが、同時に軽蔑の対象としても扱われる、ということだ。そういった、有名性に対する感覚や意識、意味を作り上げているのは、テレビを中心とするメディアの共同体である。メディアがジャンルを成立させ、制度化、規則化へと向かわせる。人々は知らず知らずのうちに、有名性それ自体でなく、有名性を作り上げる装置を崇拝している。

それらの有名性が、当の本人たちによって選びとられたものではなく、広く社会の中に共有されて運用され、一方的に誰かの存在のありように結びつけられて運用されるとき、それは押しつけられたアイデンティティの問題となる。(略) 過去のある時代における「黒人を代表する<有名人>」や「女性の代表としての誰それ」といったように、ある集団から出現する<有名性>が少数で、しかも固定的であればあるほど、それはその集団の社会の内部における位置づけを反映し、制度化された固定イメージ再生産のための代理人となってしまう。(p90)

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Jニーズというジャンルは有名である。Jニーズのタレントはファンから強い関心をもたれ、パフォーマンスに熱い声援を送られる。歌番組やバラエティ、ドラマなどの露出が(ときに過剰なまでに)多く、いつの間にか世間に名が知れ渡り、有名タレントの一員となっている。と同時に、ファン以外の人々から、往々にして軽蔑のまなざしを向けられ、反発される。口パクは歌番組に出るな、せっかくの良質ドラマなのに主役がすべてぶち壊している、詳しくないのにスポーツ中継に顔を出すな、などなど。Jニーズという有名集団に属するだけで、これといった能力も持っていないくせにやたらとテレビに出てくる奴、といったレッテルを貼られる。熱狂的な人気と引き換えに、とんでもない負債を負わされるわけだ。

人気に比して能力に「偽り」があるとされるJニーズには、歌の上手い人間も少ないとされる。名前のあがるメンバーは固定的だ。固定メンバーは多くの場合「Jニーズの割には上手い」と評価される。一方、Jニーズファンは「Jニーズで歌の上手いランキング」を作り、応援するタレントの順位に一喜一憂する。いずれにしても、Jニーズの枠内でしか位置づけされない。あくまでJニーズを「代表する」ものとして慣例化するだけだ。このJニーズという有名性は、Jニーズの範疇(とされる領域)を超えた仕事を目論む当事者たちにとっては、常に闘わねばならない障害となる。

どうもとつよしが音楽でソロデビューしてからの数年間をよく知らないが、当然、Jニーズの有名性に苦しめられたことと思う。ENDLICHERI☆ENDLICHERI、244ENDLI-x、剛紫と名義を変えてきたことも、このことと無関係ではないだろう。なかでも、音楽をともに作りあげるサポートミュージシャンを探しあて、定着させる過程がひどく大変そうだ。「偽り」の能力かもしれない人物のサポートは誰だって躊躇するし、商業的な匂いも強い。周囲から、あいつもとうとう身を売ったか、なんて言われそうだ。

そんな圧倒的不利な条件でも、彼のもとには音楽をする仲間が集まった。今や世界に誇れるグルーヴを奏でている。メンバーには感謝してもしきれない、という彼の言葉は真実だろう。そしてファンあっての活動だったということも十分に理解している。2014LIVE TOUR『FUNK詩謡夏私乱』は、メンバーとファンへのありったけの感謝の気持ちを、一旦かたちにしたものだろう。

有名性を完全に乗り越え、懇切を超えた先に、きっと誰も見たことのない表現が待っている。