はみだしつば

堂本剛さんに関する一つの見解

誰のための幸せか---FUNK詩謡夏私乱を振り返る

私自身は参加できなかったが、雑誌記事やネット上でのファンの方々の反応を見て感じたことを書き記しておこうと思う。2014LIVEツアー『FUNK詩謡夏私乱』。※外部からみたひどく勝手な講釈ですので読んでいて合わないと感じられたらすぐにお引き取りください。

「過去最高にユーモラスで開放的かつ濃厚なファンクネスが打ち出され」、「メンバーとともに育み、強化してきたファンクミュージックが本当の意味で覚醒した」(『音楽と人』2014年11月号)

長年彼を見続けているライターが言うように、実際のライブはこのとおりだったのだろう。ファンの方々の評判もすこぶるいい。フロントマンたる彼自身も、演奏メンバーも、オーディエンスも、笑顔と幸福感に包まれていたのがわかる。

昨年あたりからだろうか。シングル『瞬き』の収録曲すべてのアベレージの高さに驚かされたのを皮切りに、アルバムもパンティのおまけも、公演中に発表された曲も、出す曲すべてが粒ぞろいという並はずれた状況が続いている。音楽にじっくりと向き合う時間はなかなか取れないはずだ。それでも経験と能力と高い集中力を駆使し、信頼できるメンバーに演奏やアレンジを適宜委ねることで、ハイレベルな楽曲をアウトプットし続けている。さらに、時間のなさという不利を意識的に「楽しむ」方向へとギアチェンジし、ツアー『FUNK詩謡夏私乱』を成功に導いた。

「ここまで自分を解き放つことができているとは予想以上だった」「音楽がゆっくりと、彼の心のガードを溶かしてきた」(『音楽と人』2014年10月号)

「人に対して心を開いた、彼が次に作る音楽が今から楽しみでしょうがない」(『音楽と人』2014年11月号)

彼は今回、みんなと楽しむためにライブをした。そして実際、本当に楽しんだ。みんなが笑顔と幸福に包まれた。とても素敵なことだ。だが、それを記事にあるような「心の解放」とみなしていいのだろうか。彼が雑誌やラジオで、今ツアーに関して「何も考えないように(作った)」と発言しているのが気になっていた。何も考えないことで、場に居合わせた人たちの身体的な一体感は増しただろう。しかし、それは心のガードが溶けたのではなく、心の切り離しがおこなわれたと捉えることもできる。

アルバム『shamanippon ロイノチノイ』が発売された頃、彼は自分自身の幸福について語っている。

親を想うことができて、仲間を想うことができて、応援してくれる人たちを想うことができる。それが僕にとっての幸福やなって思いますね。(略)でも、あわよくば、<shamanippon>ていうキーワードやグルーヴ感をいろんな業界の人が楽しんで、勝手に遊んでくれる日がくるといいなとは思っていますね(『音楽と人』2014年3月号)

 確かに、「みんな」がハッピーになる最近の楽曲やLIVEは、彼のいうところの幸福のど真ん中をいくのかもしれない。出来過ぎなほどに。しかし同時に、彼の心のうちが、見えにくくなってきている。気のせいと言われればそれまでであるし、彼があえてそうしているのなら何も言うことはないが、歌詩にしても音にしても、以前なら妙に耳に引っかかってきたパーソナルな部分の比重が減っているように感じるのだ。それは、経験を重ねることで詩や音作り、演奏や歌がうまくなったこととは関係がない。

心のうちを見つめる作業は、shamanipponプロジェクトとは分離していてもいい。ただ、細く長くでいいから、何らかのかたちで続けていてほしい。その、今は眠っている表現が「みんな」と分かち合えたとき、今以上の幸福が訪れる。