はみだしつば

堂本剛さんに関する一つの見解

『HEIAN FUNK』を楽しむ条件

HEIAN FUNK 平安神宮ライブ2013 [DVD/Blu-ray]を見た。

レビューとして記事をアップさせたかったが、断念した。雑念が混じってしまい、映像作品として純粋に楽しむことができないからだ。需要はなさそうだが、この雑念部分について吐きだしておきたい。

個人的なことだが、私はどうもとつよしのライブに参加したことはない。CDやDVDはここ数年のものは購入しているが、収集欲がなく、咀嚼して味わう時間的余裕もないため、過去にさかのぼって買い揃えることは今後もない。ファンクラブには入らず、周囲に詳しい人間はおらず、生活の中でほかに優先すべき事柄が多くあり、趣味や興味は違う方面にあり、それでもどうもとつよしは気になる存在で、たまに覗くTwitterでファンのみなさんから情報のおこぼれをいただいては頭の中で悶々と彼の魅力や境遇、処遇について考えている自分はおそらく「お茶の間ファン」に分類されるのだと思う。そんな「お茶の間ファン」が『HEIAN FUNK』を自宅で見てどう感じたか。

※これ以降、作品に対する全面的な称賛はありませんので、そういった記事をお求めでしたらお引き取りいただいたほうがお互いのためです。

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公演当日は、平安神宮という場とセットリスト、歌声、演奏、舞台演出等、すべてが一体化し、きっと素晴らしいものだったのだと【思う】。わざわざ【思う】と強調したのは、その素晴らしさがイマイチ伝わってこなかったからだ。

前回の平安神宮ライブ2012『ヒトツ』は単なるライブ映像を超え、映像作品としての圧倒的な物語性があった。平安神宮という場の空気を体感していない者でも、物語を楽しむという道が用意されていた。対して『HEIAN FUNK』は、物語性が排除されている。別に、なくたってかまわない。物語に代わるプレゼントのようなものが欲しいだけだ。

三日間の公演を収録し、全ての映像を織り交ぜて構成された『HEIAN FUNK』からのプレゼントになり得るのは、ヴィジュアルだった。三日間を解体し再構築したからこそできる斬新な映像作品のはずだった。しかし、美的感覚の鈍い自分には監督の意図するところがわからず、なぜその場面でその映像をチョイスしたのか、そのシーンは三日間のうちで最良のものだったのか、そのアングルの多用は一体、などと終始考えこんでしまい、作品に身をまかせることができなかった。さらに残念だったのは、三日間の公演を切り貼りすることで、バンドの大切なグルーヴをも分断されたように感じたことだ(注:耳で聴くぶんには全く問題ないです)。グルーヴの分断というリスクを負うなら、その損失の可能性を十分に補てんできるほどの圧倒的な映像がほしい。しかも一時間半の長さがあるとなるとアイデアとセンスだけで持たせるのは無理がある。監督なりの「テーマ」設定は不可欠だったのではなかろうか(テーマがあったのなら汲みとれなくてごめんなさい)。

これはあくまで、一お茶の間ファンの意見である。実際に平安神宮に足を運んだ方々にとっては、この『HEIAN FUNK』は記憶を呼び起こす再現装置として十分だろうし、客席からは見えなかった舞台の様子も確認できるのだろうし、三日分の映像が入ることで「見ていない日のどうもとつよし」も合わせて楽しめるのは魅力だと思う。また、ライブ映像としてはちょっと見たことがない感じで、たしかに新感覚で、おしゃれではある。美的感覚の欠如している自分には必然性が感じられなかった数々のカットも、じかに公演を体感した方々にとっては記憶を補完し感動をよみがえらせる意味ではほどよい塩梅なのかもしれない。

『HEIAN FUNK』は実際のライブを体験していることが、作品を楽しむ上での条件になっている気がする。平安神宮の空気や匂い、場やオーディエンスとともに一体となって奏でられるグルーヴが、小間切れの映像が仇となってか、ごくわずかにしか感じられない。この作品を前に、中途半端なファンである私は、どうもとつよしおよび熱心なファンの方々と、自分との間にある距離を感じてしまい、置き去りにされたような、寂しい気持ちになってしまった。彼は「知る人ぞ知る」ミュージシャンだが、「知る」者の範囲がどんどん縮小されてはいないだろうか。コンテクストを必要とせず体にダイレクトに響く彼の音楽は、本来、世界へ広がっていくはずのものなのに。

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余談だが、オリコンランキングで音楽DVDと音楽Blu-ray部門の首位にたったのは、同日発売のほしのげん氏の武道館公演である。特設サイトで公開されている映像がとても印象的だった。